名古屋市緑区有松町大字有松三丁山331-1
名鉄線有松駅より南に徒歩10分

診療時間
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院長ごあいさつ

院長 小塚義夫
資格
学歴、職歴

1978年 (昭和53年)3月15日名古屋生まれ
2002年 国立長崎大学歯学部卒業
2006年 国立長崎大学歯学部歯周病学講座大学院卒業博士号取得
2006~2010年 神戸市医療法人松田歯科医院勤務、医局長
2007年 日本歯周病学会奨励賞受賞
2009年 日本歯周病学会専門医取得
2010~2011年 名古屋市の医療法人の歯科医院にて院長代理として勤務
2010年 国際インプラント学会認定取得
2010年 精密義歯(BPS)クリニカルの国際認定医取得
2011年5月 医療法人 つゆくさ歯科医院開院
2017年3月 臨床歯周病学会インプラント認定医取得

2018年10月 日本歯周病学会指導医取得
2019年5月 日本歯周病学会認定研修施設に認定(医療法人 つゆくさ歯科医院 ) 

Certificate(免許状)
  • Advances Studies in Periodontics and Implant Dentistry
  • (UCLA University Department of Continuing Dental Education)
  • Concept&Application of Ankylos implant system
  • Surgical and Prosthodontic Principles of Branemark System
  • Surgical and Prosthodontic Principles of Replace select
  • Gore Regenerative Technologies
  • Emdogain Gel
  • DAMON System(Passive Self-Ligating Orthodontics)
  • “Muscle Wins!”Method Seming
  • Super General Practice Course
  • Tsutsui Occlusal Therapy Course
  • Tsutsui Prosthetics Technical Course
  • Splint&Orthodontic Plate Course
論文
学会発表

2004年10月16日第47回秋季日本歯周病学会学術大会にて講演
2006年10月21日第49回秋季日本歯周病学会学術大会にて講演
2010年2月6日長崎大学歯周病学講座にて講演
2010年9月24日第54回秋季日本歯周病学会学術大会にてポスター発表
2011年2月5日長崎大学歯周病学講座にて講演

他学会、セミナー参加多数

(※)特定非営利活動法人 日本歯周病学会は、歯周病を克服することにより自分の歯を1本でも多く残すことを目的に 1957年に設立された学術団体であり、会員総数は2019年3月31日現在11,121名を数え、歯科の学会ではトップ3に入る大きな学会です。

認定医は、日本歯周病学会に所属し、3年以上歯周病学に関する研修や臨床経験を積み、認定医試験に合格した者が認定されるものです。

専門医は、認定医になった後、さらなる研修と臨床経験を積み、学会が行う非常に難しい試験に合格した者が認定されるものです。

専門医は、名古屋市内では大学の先生も含めて2019年の段階で24人、名古屋市緑区では当院のみです。

指導医は、歯周病専門医になった後、7年以上の診療や学会の発表など実績があり、指導医にふさわしい業績があるものが認定されるものです。

指導医は、愛知県では大学の先生も含めて2019年の段階で当院を含め8人しかいません。

日本歯周病学会認定研修施設は、愛知県では当院や大学も含めて2019年の段階で3医院しかありません。

こんにちは!院長の小塚です

私たちは、毎日食べています。生まれたときから現在に至るまで、食べてきたものをすべてリストにしたら、気が遠くなるほどたくさんになることでしょう。 

「食べる」という行為は、とても大切な生きる楽しみの一つだと思います。もし、固いものが食べられなくなってしまったり、味がしなくなってしまったら、これほど悲しいことはないでしょう。

「食べたいものをなんでも自由に食べて、笑顔あふれる人生を送っていただきたい!」

すこし大げさかもしれませんね。しかし、私はそのような気持ちをもとにこの「つゆくさ歯科医院」を開業しました。 

「すべての患者さんが、一生おいしく食事できるように、できる限りのサポートをすること」

それがつゆくさ歯科医院の強い思いです。

歯科医師を目指した理由

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「なぜ歯科医師を目指したの?」

大学に入学して1年目のころ、一番よく聞かれた質問でした。
嘘は言いたくないので本当のことをいいますね。

「海外を旅したいので、手に職をつけたかったから」

当時は本当にそう思っていました。

旅をして「本当の自分?本当にやりたいこと?」を見つけたかったのです。

「平凡なものを緻密に見れば、非凡なものが見えてくる」(東山魁夷)

この言葉にあるように、「本当の自分、本当にやりたいこと」は、日々の生活を一生懸命、精一杯出し切ることでこそわかってくるものでしょう。

しかし、当時の私にはそのことが分かりませんでした。

高校時代

将来に対する漠然とした不安を抱えながらも、自分がやるべきことを見つけ出せずに、無気力に過ごしていた高校時代。
そんな中、何気なく本屋で手に取った「深夜特急」(沢木 耕太郎)に、私は夢中になってしまいました。

「僕も海外を旅したい!」

その気持ちだけがビジョンとなり、

「そのためには手に職をつけないといけない・・そうだ、父が歯科医だから歯科医師免許をもっていれば大丈夫だ!」

今思えば安易すぎて恥ずかしくなる考えですが、当時は本気でそう思っていたのです。

金銭的に私立の歯学部は無理だったので、何かに憑りつかれたかのように無我夢中で勉強して、なんとか現役で国立の長崎大学歯学部に合格しました。

大学時代

大学に入ってすぐに、まるで吸い寄せられるかのようにラグビー部に入部してしまった私。

決して運動神経は良い方ではなく、またラグビーはまったく未経験でしたので、とても大変でした。

しかも、歯学部のラグビー部のはずなのに、朝練はあるは、練習後は筋トレをするは、上下関係は厳しいはで・・・。

「僕は海外を旅したいんです」

と先輩に言うと、

「やかましい!そんなこと考える暇あったら筋トレしろ!」

と一喝されたことも。

いつのまにか、「海外を旅したい」という夢は薄れていき、「レギュラーを勝ち取る。そして、試合に勝つ」という夢に変わってしまいました。

これこそ洗脳でしょうか(笑) 

いやいや、夢中で一生懸命過ごしたあの日々があったからこそ今の私があるのだと思います。

体がボロボロになるまで練習し、あの世にいってしまうのではと思うほど酒を飲まされて、捕まるのではないかというほどアホなことをしてきたあの頃。

そして、驚くほど面倒見が良い先輩(練習中は閻魔大王)やお互いを高め合う友人、後輩に恵まれ、なんとか6年間のラグビー部生活をやり遂げました。

その6年間のラグビー生活の中、噛み合わせと運動について実感した出来事があります。

ウエイトトレーニング中に手が滑ってしまい、バーベルが自分の口元に落下。

100kgのバーベルは当然のごとく私の前歯をへし折りました。

すぐにOBの先生に応急処置をしてもらいましたが、食いしばるととても前歯が痛い・・・。

そんな中で、練習をしたときに思いました。

「食いしばれないから、力がでない」

「運動をする上で、しっかりと噛めることは不可欠なことだ」

そして、

「何歳になっても健康であるためには、しっかりと噛めないといけない」

そう実感したのです。

大学生活6年間を経て、気分を新たに私は思いました。

「今度は一生懸命歯科医療に取り組んで、歯が悪くて困っている人たちの助けをしたい。」

「まずそのためには、病気の原因が何かを考察できるように頭を相当鍛えないといけない。」

「そして、病気をしっかりと治せるようにするためにあらゆる技術を習得しないといけない。」

「特に、だんだん歯が動いて噛めなくなる難病、歯周病をしっかりと学びたい。」

そんな思いで、臨床実習で出会った先生をしたって長崎大学歯学部歯周病教室の大学院の門を叩きます。

大学院時代

大学院時代はほぼ休みなく、ほとんど遊ぶことなく、日中は臨床や勉強を、夜や休日は実験を狂ったようにやっていました。

本来大学院生は、4年間の研究を通して1つ以上の論文を仕上げることが求められます。

だから、それだけするのであれば休みもしっかりあり、睡眠も十分とれ、たくさん遊べるはず。

実際、だらだらと過ごす大学院生も結構いるようです。

しかし、

「後悔することが絶対ないくらい一生懸命取り組むことでこそ、大切なものは見えてくる」

ことをラグビー部時代に気づかされていましたので、私は時間を惜しむように手と頭を動かし続けていました。 

その結果、大学院生活4年間で医療に対する考え方が身に付いたのです。

恩師である長崎大学歯周病講座の原教授は、いつもおっしゃいます。

「なぜそうなるか?なんでそう思うか?その根拠は?」

この質問にまともに答えられないと、烈火の如くお叱りをいただくことに・・・。

研究というものは、何かについて仮説をたて、その仮説を証明するための計画をたてて、数々の実験を繰り返し、その実験からでた結果を考察(再評価)し、そこからまた計画を立て直して、また実験を繰り返し、一つの論文という形に仕上げます。

仮説、計画、実験、再評価、再実験と、どれをつまずいてもいい論文はかけません。

同様に医療というのは、症状に対する仮説をたて、検査によって病気の原因を探り、その検査結果をもとに治療をし、治療の結果を再評価し、必要であれば治療の計画を修正し、最終的に治癒へむけて進めていくのが大まかな流れです。

難しく書きすぎましたね(汗)

とにかく、大学院4年間で私の医療に対するマインドセットができました。

大学院卒業後

大学院卒業後は、さらなる最新の知識と技術の研鑽を積むため、 ラグビー部の親友や先輩がいた神戸の歯科医院に就職。

その神戸の歯科医院はドクターが10人もいるような大型歯科医院で、最先端の診療機器を揃え、今まで専門書でしか見たことのないような最新治療を全てのドクターがあたりまえのようにこなし、ドクター、歯科技工士、歯科衛生士、受付、歯科助手がそれぞれプロ意識をもって働いており、間違っていると思えばたとえ院長であろうと意見がいえるような環境でした。

その中でやっていくためには当然、求められる知識や技術はとてつもなく高く、そして責任は非常に重く。日々の昼休みは練習を、診療後は専門書を、休日は大阪や東京へ勉強会へと、駆けずり回っていました。

勤務した頃は、給与のほとんどは専門書と勉強会代に消えて、お金がなかったので自炊をしながら節約する毎日。

その甲斐あってか、知識と技術に自信がつき、何よりもそれによって治療の幅がかなり広がり、手助けできる患者様を多くもてたのが一番の収穫でしたね。

そして開業へ・・・

神戸で勤務して4年目の頃、故郷である名古屋に戻る決心がつきました。

「私を育ててくれた地域の方々のお役に少しでも立ちたい!」

そう思い、14年ぶりに名古屋に拠点を戻したのです。
名古屋へ戻ってからは、1年間名古屋のインプラントを中心とした歯科医院で、院長代理としてドクターや衛生士の指導しながら開業準備をすすめてきました。

H23年5月、開業を目の前に私は思います。歯科医療を通して多くの方を悩みから救ってきたつもりです。

でも本当に救われているのは歯科医師の私なんだと最近よく思います。悩みから解放された方の笑顔は私を幸せにしてくれるのです。

そんな感謝の気持ちを忘れずに、多くの方々の力になりたいと思います。

院長 小塚義夫

患者さんのお悩み、お話しを最後までしっかりと聞いて
患者さんが本当に望む治療を提供できる歯科医院を目指しております。
名古屋市緑区の歯医者・つゆくさ歯科医院へどうぞ安心して何なりとご相談いただければと思います。